昭和の日に人生最後の恋愛が終わった日

「毎日、八藝舘ハチゲイカン」
「昭和の日に人生最後の恋愛が終わった日スペシャル」

こんばんは。
岩手県のようにPCR検査を拒み続ければ、全国的に感染者数はグッと減るんじゃない?って不謹慎極まりないアイディアを思いついてしまった株式会社 盛岡八幡家守舎 代表 及川淳哉 です。
何ひとつ解決に導くことの出来ない戯言はアイディアとは言いません。

今日は恋愛話しになりますので、僕のように他人の恋愛に全く興味を持っていない人は、お手持ちにPCかスマホを思い切りアスファルトに叩きつけてからご自分で修理でも始めてください。そして途方に暮れてください。

そしてリア充の方々は一生のお願いですから、両親が遺してくれた保険金を原油先物に投資して全部溶かしてしまって親戚中から「この、ロクデナシ。」と罵られ軽蔑されてください。

では、始めます。

6年前の今日、僕はその時の彼女の両親に会いに行く日でした。
もう既に僕の自宅で一緒に住んでいたので、彼女の実家までは車で10分もあれば十分に到着できる距離だったし、すごく長く付き合っていたのでそんなに緊張なんてものも無かった。
普段どおりに彼女の作った朝ご飯を食べて会社に行く時と同じようにスーツを着て、彼女の両親に挨拶に行くという一般的な身なりで家を出た。

家に到着して当たり前のように家に招き入れられ挨拶をし、当たり前のように世間話が続いていた。僕は聞かれることに対して真摯に笑顔で答え、仕事じゃないんだからなるべく質問しないようにしていた。

彼女の父親からは経営している薬局を売却したいと思っているから、ありがたい話しだ。今度一緒にゴルフに行こうなんて誘われたりもした。

それなのに彼女の母親からは一方的な質問が多く、保険会社に勤めていることや僕の結婚歴に異常に興味を示して失礼な質問ばかりが続いけど、別に争いに来た訳じゃないしきっと心配なんだろうと思い笑顔で質問に答えていました。

ざっと1時間くらいの顔合わせでした。
質問をされたことに答えていただけだったけど、この位がちょうど良いだろうって思っていました。何の感慨もないスッキリとした感じで帰ってきました。

家に着くと彼女の母親から電話がきて彼女が呼び出されて、深夜まで帰ってきませんでした。
そして、その次の日に彼女は家に帰ってしまいました。
実に呆気ない終わりでした。

人の思い出話しなんて聞いていても自慢話にしか聞こえないので書く気もありませんが、どんなに長く一緒に居ても理解出来ないことってあるんだなって理解できた。
親元で働いている人でも本当に立派な人たちは沢山いるのも分かる。
でも、ずっと親に依存してきて死ぬまで自立出来ない人っているんだ。ってことも理解できた。

普通の尺度は人それぞれ違うけど、普通の人が良い。
最低限自立(親離れ、子離れ)出来ている人が良いっていうか、9年も一緒に居たのに初めてその時に分かったって、ダサいぞ俺。

これが人生最後の恋って最高に笑えます。

最後になりますが、
大好きなバンドで Georgia Satellites に
Six years gone って大好きな曲があるんです。

歌詞と同じような立場や心境になるって複雑だけど、良い曲だから載せときます。
和訳はちょくちょく間違っていますが全然オッケーです。
あれから長いこと恋はしていませんが、やっとでリセット出来た感じがするから今日はこれ聞いて泥酔してやります。

恋は随時募集中です。

では、また明日。

 


タワーズビル株式会社
株式会社 盛岡八幡家守舎
代表 及川淳哉

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